遂にシステムエンジニアのテッペンを制覇!でも結果は虚しさと罪悪感

誰の人生にでも、輝いていた瞬間はあると思います。

私の場合は、システムエンジニア時代のビッグプロジェクトのリーダーになった経験です。

上司や同僚、システム開発会社の方々など、様々な人の助けによって、無事に完遂したことは、大きな自信と成長をもたらしてくれました。

でも、それと同時に、自分の限界にも直面させられた経験でもあったのです。

今回は、私がキャリアのテッペンを、極めた時のエピソードです。

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目次

自分には到底無理な『プロジェクトX』

転職してから数年経ちましたが、仕事に慣れることはなく、自分を苦しめる目の前の仕事をただひたすら潰していく日々でした。

この頃は、晴れの日に、窓の外の空に浮かぶ雲を見ると、仕事を投げ出してどこかに行ってしまいたいと思うようになっていました。でも、休んでしまうと、仕事が溜まってしまい、結局、自分自身を追い詰めることになります。

休んだ日の翌日の朝は、メールを見るのが怖くて怖くてしょうがなかったです。その恐怖を味わうくらいなら、体調が悪くても無理して出社していました。

そんな悶々とした日々を過ごしていたある日、上司から呼び出されました。

その内容は、新しく全社的に開発する新サービスのための重要プロジェクトについてでした。

そのサービスを始めるためには、社内の別のシステムから、数千万人分のユーザーデータを全て移行する必要があります。その移行作業チームのリーダーを、私に任せるというのです。

データ移行作業なんて地味な作業です。しかし、これが成功しないと、サービスを開始することができません。そのため、新サービスを無事開始させるために、最も重要な位置づけの作業でした。

この作業は、ただデータをコピーすれば良いというものではなく、社内の様々なシステムから、集めたデータを加工する必要がありました。

この作業には、2つの課題がありました。

他システムの仕様を知っている人がいない

この移行作業をするためには、社内の様々なシステムの仕様を知っている必要があります。

当然、私にはそんな知識はありませんし、同じ部内のメンバーにもそんなスーパーマンはいません。

そもそも誰が必要な情報を教えてくれるのかさえ、誰も知らないのです。

大企業の典型的な問題に、苦しむことになるのは目に見えていました。

作業時間が短すぎる

データ移行中はシステムを止める必要があるのですが、窓口業務がお休みしているのは、夜中の数時間程度です。

システム停止が許されるこの数時間で、全ての移行作業を終わらせる必要があるのですが、数千万人分の膨大なユーザデータを移行するには、短すぎる時間でした。

他部門にも協力と犠牲をお願いする必要があるのですが、今までの経験上、どの部門もリスクを避けたいと考えるため非協力的なのです。

やるべきことは明確なのに、協力が得られないために、八方塞がりになる…。今まで散々苦しめられてきたことを、繰り返すことを考えると、それだけで憂鬱になりました。

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テッペンを目指さざるを得ない憂鬱

このプロジェクトを成功させたら、人事評価は上がり、周りからの信頼も得ることができます。自信も誇りも身に付くでしょう。

でも、私はそんなものは、欲しくありませんでした。その頃はただ、仕事のプレッシャーから逃れたい、ということしか考えられなかったのです。

今考えると、なぜ断らなかったのだろうと、不思議に思います。でも、当時の私には断るなんて選択肢はありませんでした。

もう、体制は決まっていて、私の代わりはいません。さらに、このプロジェクトのために、新しく優秀な人も配属されることになっているとのことでした。

優秀だったらその人がリーダーになったらいいじゃんと、強く思ったのを覚えています。

サラリーマンなのだから、業務命令には逆らえない…。完全思考停止状態の私は、そう考えて、プロジェクトのリーダーになりました。

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犠牲者続出の日々

こうしてデータ移行プロジェクトが始まりました。

案の定、必要な情報はなかなか集まらず、必要な他部門の協力は得られず、すぐに追い詰められることになりました。

そのたびにチームメンバーや上司の協力によって、何とか進めることができました。しかし、それとは裏腹に、思った通りにプロジェクトを進められないことで、私の自信はますます失われていきました。

早くこのつらい仕事から解放されたい…。ストレスがどんどん増えるにつれて、目まいや動悸、頭痛に悩まされるようになりました。

リーダーの私が、こんな体たらくなので、チームメンバーにも負担が増えていきました。

ある一人のメンバーは、体調不良で休みがちになり、遂にプロジェクトから離れざるを得なくなりました。後で聞くと、ストレスで体が動かなくなってしまったということでした。精神科の病院には行かなかったそうですが、恐らくうつ病になってしまったのでしょう。

犠牲になる人は社内だけにとどまりませんでした。システム開発会社側の、データ移行作業実施チームのリーダーの方が、倒れて入院してしまったのです。

この方はとても優秀で頼りになる人なのですが、線が細くて、いつも顔色が悪くて心配になってしまうほどでした。きっと、常日頃から激務をこなしていたのだと思います。

幸い、この方はプロジェクトに復帰してくださいました。

しかし、私がふがいないばかりに、社内外に犠牲者を出してしまったことで、自信を失うだけでなく、罪悪感まで持つようになりました。

自信もスキルも無いのに、人から決められたというだけの理由で、上を目指したことを心底後悔しました。

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虚しさと罪悪感

その後、仲間や上司のおかげで、何とか社内調整ができました。データ移行作業を時間内に終わらす方法も、システム開発会社の方々の尽力で目途がつきました。

本番の移行作業の時には、様々なトラブルも発生しましたが、その度に、周りの人に助けていただき、最後は無事にデータ移行作業が完了しました。

私自身はこのプロジェクトの成功に、何の役にも立ってないと思うと、ただ謙虚になるしかありませんでした。仲間や上司にはただ感謝しかありません。

その年の人事評価はとても良かったです。上司からもとても褒めていただきました。

しかし、どんなに褒められても、私には達成感は無く、ただ虚しさ罪悪感しかありませんでした。

厳しい携帯電話業界の中で、会社は競争に勝つために躍起になっています。そんな経営方針に疑問を持ちながら、会社や上司に決められた目標を嫌々受け入れて中途半端な気持ちで仕事をすれば、自分だけでなく、他人も不幸にすると思いました。

「テッペンを取らなくでも、自分は全然幸せなのに、なぜそれが許されないのだろう?」
「このまま嫌々、上を目指し続けたら、自分の心と体は持つのだろうか?」

誰も成し遂げたことがない、ビッグプロジェクトを成功させたにもかかわらず、私はこの会社で仕事を続けられる自信が完全に失われていました。

そんな虚しさを感じていたある日、ずっと音信不通だった友人と再会することになりました。そして、彼の何気ない話が、私に新しい選択肢を知るきっかけを与えてくれたのです。

次回は私の考え方をガラリと変えてくれた人たちのことを書きたいと思います。