転職してキャリアもストレスも頂点に!そこは生きるか死ぬかの戦場でした

私はサラリーマン時代、ずっと疑問に思っていたことがあります。

それは「ライバルに勝つための熾烈な競争をしながら、社員のメンタルの健康を維持することなんてできるのだろうか?」というものです。

競争に勝つためには、強い精神力が必要です。苦しいことや、大変なことも、努力で乗り越える必要があります。

時に無理難題を要求して、自分のやりたいことを貫き通す必要もあるかもしれません。その時には、従わない相手に圧力をかけることだって必要でしょう。

競争に勝つことと、社員のメンタルヘルスを両立するなんてできるのでしょうか?

もし、最前線で戦う兵士が精神的に病んでしまったとしたら、戦いを続けたまま、心のケアなんてできないと思います。回復のための最善の方法は、帰還して戦闘から離れることのはずです。

私が最後に勤めていた会社は、まさに戦場のような業界だったように思います。そこで私は、上を目指すことと、プレッシャーによる疲弊との間で悩まされることになりました。

今回はそんな日々について書いていきます。

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目次

いかにも大企業な初日

それまで私は、社員数が40人前後の会社にしか勤めたことがありませんでした。その私が転職した会社は、グループ全体を合わせると数万人の社員がいました。

一気に千倍の社員数の会社で、働くことになってしまいました。

出勤初日には、辞令交付式なんてものに参加しました。と言っても、季節外れの中途採用なので、出席者は私一人でしたが、部長から配属先が書かれた辞令を授与されました。

そんな儀式を経験したことが無い私は、所作振る舞いが分からず困しました。大企業に入社したんだなと思える経験でした。

そして、すぐその後、配属先のオフィスに行き仕事が始まりました。

研修なんてものは何も受けず、いきなりだったので、ちょっと驚きました。しかし、早く職場環境に慣れるためには、その方が良いとも思いました。

私が転職した頃は、時代を変えた革命的な情報端末、iPhoneが出てから1年以上過ぎた頃でした。

私が配属されたのも、スマートフォンのサービスを開発運用する部門だったのですが、まず不思議に思ったのは、半分以上の人が離席中で、自席で仕事をしている人が少ないことでした。

あとで分かったのですが、あまりにも忙しくて、みんなそれぞれ打ち合わせに行っちゃってるのです。

私のメンター役として紹介された先輩も、挨拶を済ませたらすぐに、どこかに行ってしまいました。まぁ、ほどなくして私も打ち合わせばかりの日々になってしまったのですが…。

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IT業界の常識が通じない環境

早速、私にも開発案件の仕事が割り振られました。ミッションは、社内のサービス部門が作りたいサービスためのシステムを設計して、外部のシステム開発会社と調整して開発してもらう仕事です。

案件を担当できることは、とても嬉しかったです。しかし、経験者とは言え入社したばかりの人間に、案件を任せてしまうことに驚きました。

しかし、後から分かったのですが、いきなりのようでも、私が慣れるためは、これがちょうど良いレベルだったんです。

この頃、急ピッチでスマートフォン用のサービスを増やしていたため、同時並行で20個くらいの開発案件が進んでいました。それをエンジニアたちが分担して受け持ちます。エンジニアはたくさんいるわけではないので、大抵は、一人で複数案件を担当することになるのです。

しかも、3ヶ月おきにまた新しく、20個前後の開発案件がスタートします。一つの案件が完了するまでは、10か月~12か月程度かかるため、進捗状況がバラバラな複数案件を常に担当することになるのです。

私は一つの開発案件を設計開発から、本番運用まで順番にやっていくやり方しか経験したことがありませんでした。いずれ自分もこれをやることになると思うと、ゾッとしました。

これは必死にならないとヤバいと思った私は、システムの仕様書や設計書など、自習するために必要な情報をくれるようにお願いしました。

しかし、なんとその答えは“無い”というものでした。みんなあまりに忙しすぎて、文書として残しておく余裕が、無いのだそうです。

だから、“分からないことは何でも質問してくれ”と言われました。でも、その質問したくても、その人も、いつも打ち合わせに行っていて席にいないのです…。

「やり方なんてどうでもいい!とにかくライバルより少しでも早く、新サービスを提供しなければ、負けてしまう!」

私はそんな論理で動いている職場なのだと、理解しました。

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情け容赦ない仕事の進め方

そういうわけで、私も早速、受け持った案件の仕事を始めました。

まず最初に、開発を進めるために、システム開発会社と毎週行っている定例の打ち合わせがあるため、そこに参加することになりました。

その時間では、自分の担当案件以外のことも話し合われます。そこで、初回からショックを受けました。

つい先日、システム開発会社が行った、サーバー設定に誤りがあったせいで、システム障害を発生させたことを、ある同僚が糾弾し始めたのです。確かに機会損失による、売り上げへの影響は億単位になるため、黙って済ませることはできない問題でした。

その同僚は、その場の雰囲気が凍り付くほどの権幕で、「この設定をした人はだれなんですか?」と詰め寄りました。

すると、私の目の前にいた20代半ばくらいの若いエンジニアが、一呼吸を置いた後、覚悟を決めた表情で「はい、私です…。」と手を挙げたのです。

それを見た同僚は「では、彼をこの担当から外してください。」と要求し、開発会社側のリーダーもそれを了承したのです。

私は驚きました。いくら立場の強い発注側であっても、相手の会社の人事にまで口出しするなんてことは、すべきではないと思っていたからです。

システム開発会社の方も、守るべき現場の若手エンジニアを、責められると分かっているのに、生贄として連れてくるなんて、どうかしていると思いました…。

とんでもない会社に入ったと思いました。大きい仕事ができるという希望は吹き飛び、自分も同じ目に遭わないようにしなければという、守りの気持ちに切り替わってしまいました。

私は今でも、この若手エンジニアの悲痛な顔が忘れられません…。

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段取り8割の仕事

すっかり、ビビってしまった私は、右も左も分からない中でも、必死に仕事をしました。

ゴールまでに必要な作業を洗い出して、自分なりのスケジュールを立てて、毎日の仕事を進めようとしました。しかし、すぐにそのスケジュールは破綻しました。

必要な作業をするためには、各部門の了承を得る必世があります。そのためには、その部門の課長や部長に、説明が必要です。そのための説明資料を作ったら、一発で納得してもらうために、部内でリハーサルをします。

リハーサルが済んだら、全社向けの説明会を開催して、そこで承認を得ます。もし、承認されなかったら、その部門に対しての根回しが始まります。

根回しの協力を部長にお願いする際には、またプレゼンを行います。

このように、日々の仕事は、打ち合わせや説明会、そして、そのための説明資料の作成がほとんどなのです。

大企業に勤めている方なら、当然と思うかもしれませんね。

でも、それまで必要な仕事を、順番にこなしていくだけだった私には、段取りが8割以上の毎日が、すぐにつらくなりました。

承認されるか否認されるかで、その後に大きな影響がでるのです。時には万策尽きて八方塞がりになる事もありました。必要なことを真面目にやっても、順調に仕事が進むとは限らないのです。

エンジニアとしての仕事よりも、段取りが8割以上という、この仕事のやり方に、私は追い詰められるようになっていきました。

誰がそれを望んでいるの?

“承認を得る”という作業の過程で、最も納得がいかず、そして自分を苦しめたのが、”誰が望んでいるのか分からない高すぎる基準”でした。

例えば、新サービス追加作業のために、夜中の間、サービスを30分停止させると言うと、サービス部門が「1分でもダメだ、無停止でやってくれ」と言うのです。

そのサービスは、年に1回や2回くらい、しかも夜中の30分間停止したとしても、文句を言う人はいないと思えるものなのです。

無停止にこだわる理由も、“機会損失につながる”とか、“ユーザーに知らせる手段が無い”なんて最もらしいものもあれば、“○○部長の意向だ”なんてものもありました。

本当に必要なことのために頑張るのであれば、まだ納得できます。しかし、誰も望んでいないことのためにすることは、“努力”ではなく、“無駄”と呼ぶのではないでしょうか?

何も考えずに、この“無駄”な作業を続けることで、仕事のモチベーションは次第に下がっていきました。

みんな素晴らしい人

でも、ここまで書くと、この会社で働いている人たちは、みんなどうしようもない人のように伝わってしまうかもしれません。

ところが、ほとんどの人は、私がこれまで一緒に働いてきた中で、最も素晴らしい人たちばかりでした。みんな仲間想いで、他人に配慮して、何かあれば助け合うような人たちばかりです。

前述の若手エンジニアを糾弾した同僚でさえ、私にアドバイスをくれたり、仕事を手伝ってくれたりして、周りからも頼られている人でした。

自分のためにも、仲間のためにも、ライバルに勝たなければならない。そのためには、理不尽な要求も辞さない…。みんなそんな考え方で、仕事をしているようでした。

そんな中で、私だけは鬼になる事ができず、時に仲間に迷惑をかけることもありました。そして、思った通りの仕事ができない中で、システムエンジニアとしての自信も徐々に失っていきました。

そんな悶々とした日々を過ごしているうちに、これまでの中で最も大きな仕事を担当することになりました。

「大きな仕事をしたい!」と望んで、この会社に入ったはずでしたが、この時にはすっかりそんな野望は消え去っていました。

そんな自分には、荷が重すぎる案件だと思いました。でも、Noと言えば、今でもイマイチな人事評価がもっと下がると思い、断ることができませんでした。

こうして、私のサラリーマン人生で、表向きは最も輝かしく、その実は最も自信を失うことになった、ビッグプロジェクトを担当することになったのです。

そのプロジェクトのエピソードは、また次回です。