日本初のニート!?就職活動真っただ中で休学の暴挙

私には、大学生の友人が何人かいます。みんなそれぞれ悩みを抱えながらも、自分の将来のことや、社会に出てどんなことをするかを真剣に考えています。

何も考えていなかった自分の大学時代のことを思い出すと、みんな頼もしいなぁと思います。

自由度が増えて、好き勝手に生きていた半面、自分自身に自信が持てず、社会人になることへの漠然とした不安を抱えていたように思います。

今回はそんな私の大学生時代の話です。

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あり得ない奇跡で大学入学

大学の付属高校に入った私は、一般的な大学受験は経験せず、そのまま推薦を勝ち取って、大学に入学しました。

高校時代は自分なりに勉強したつもりでしたが、成績は“中の中”といった感じでした。しかし、入学する学部と学科を決めるための一番の山場である、『校内の推薦試験』で前の晩に勉強した部分が、そのまま丸ごと出るという奇跡が起こりました。そのおかげで、推薦試験で、トップクラスの成績を取った人しか入れない、人気の学科に入学することができました。

自分の人生を振り返ってみると、この時のあり得ない奇跡から始まって、今の暮らしに繋がっているように思えて仕方ありません。

何はともあれ、私は実力に相応しくない学科に入学し、大学生活が始まりました。

高校までの時とは違い、講義に出るか出ないかは、完全に自由です。その結果、望みの成績が取れなくても、自己責任です。

私は親の金で大学に行かせてもらっているという恩も忘れ、欠席しても問題が無いと判断した講義には出ないようになりました。

そして、同じようにサボっている友達と一緒に、遊んでいました。

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自分自身が分からない就職活動

自由気ままな大学生活を過ごしていましたが、それでも親の迷惑にならないように、最低限の勉強はしました。

でも、実は私にはこの頃の想い出が、何も残っていません。達成したことも無ければ、つらい出来事も無かったので、思い出せることが無いのです。

私の人生で最もつらかった、ITエンジニア時代には、つらかったなりにたくさんの想い出が残っていて、その一つ一つが財産になっています。

それを考えると、大学時代の最初の3年間が、実は私の人生の暗黒期なのかもしれません。

いずれにせよ、私は相変わらず”中の中”の成績を維持して、無事に四年生に進級しました。大学三年の終わりになると、起業からのダイレクトメールが届くようになり、同級生たちも就職活動を始めます。

自分が将来何者になりたいのかなんて深く考えてこなかった私は、周りに流されるようにして、就職活動を始めました。

やりたいことが自分でも分からないまま、安定した職業に就きたいという、漠然とした希望だけを持って、なんとなく良さそうな会社に応募していました。

そんな就職活動が始まったばかりの頃に、ワガママで自己中心な自分に直面させられる経験をすることになりました。

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ネットワークビジネスにハマる

確か大学四年の4月下旬の頃だったと思います。就職活動である会社の説明会に行った帰りに、たまたま一緒に行った友人に誘われて、とあるネットワークビジネスの説明会に連れていってもらいました。

その友人は既に入会していたのですが、就職活動もあり、真剣には取り組んでいませんでした。ところが、私はその内容を聞いていて、これなら絶対に稼げるし、一緒にやる人を含めて、みんなハッピーになれると思ってしまいました。そして、世間知らずの私は、ネットワークビジネスがどういうものか分からずに、入会することにしました。

しかも、それだけでなく、ネットワークビジネスの活動に集中するために、大学を1年間休学することにしたのです。当たり前ですが、親は猛反対しました。しかし、“真剣に取り組むために自分を追い込みたい”と頼み込み、しぶしぶ了承を得て、四年の前期が終了した時点で、休学しました。

退路を断って物事に集中するというのは、一見すると真剣さが増して良いように思います。でも、古来より背水の陣というのは、勝算がある時にやってこそ、最大限の効果を発揮するものです。

今振り返ると、形だけの覚悟だったと思います。でも、この時の愚かな選択のおかげで、ミニマムスタートで次々と様々なことに取り組むスタイルが身に付いたので、必要な経験だったのかもしれません。

とは言え両親にとっては、たまったもんじゃなかったと思います。休学期間中は学費は発生しないとはいえ、卒業直前で休学したいと言い出すなんて…。やっと、子離れできると思ったら、まだまだ世話を焼かなければならないなんて、親にしてみれば青天の霹靂だったでしょう。

何はともあれ、人生で初めて夢中でできることを見つけた私は、思いつく限りの友人知人に声をかけ続けました。でも、そんな話を私からされた人たちはみんな困惑して、ことごとく断られました。

そりゃそうだと思います。まだ、社会で何の実績も出していない学生から、ネットワークビジネスの話を持ち掛けられても、信頼なんてできるわけないですよね?本当に甘い考えだったなと思います。

親にも迷惑をかけ、友人たちにも煙たがられ、結局、真剣に取り組んだのは、それから半年くらいだったと思います。

自分の浅はかさを痛感し、せめて大学だけは卒業して、親を安心させたいと考え、当初の1年ではなく、半年経った翌年の4月に大学に復学しました。

幸いにも卒業に必要な単位は、残り僅かだったため、前期で必要な単位を取得すると、復学してから半年後の1997年9月に卒業することができました。

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卒業…そしてニート生活

日本の大学なのに、それを9月に卒業する人なんて、他にはいません。当然卒業式なんてものもありませんでした。

復学した時点で、就職活動を始めていれば良かったのにと思います。しかし、今さらサラリーマンになるのも、なんとなく抵抗があり、何もしていませんでした。

自分の甘い考えを後悔しながらも、これからどうしたら良いのか分からず、ただ無為に過ごす日が始まりました。

ニート(NEET)という言葉は、 Not in Education(教育), Employment(就業) or Training(職業訓練)の略です。

この頃はまだニート(NEET)なんて言葉が無い時代でしたが、大学を卒業してしまった私は、正真正銘のニートになってしまいました。

これ以上親に迷惑はかけたくないという気持ちは当然あるのですが、就職活動の方法が分からず、また、自分なんかを雇ってもらえる会社なんて無いと思い込んでいました。

すっかり自分に自信を失ってしまった私は、社会に出るのが怖くなっていたのだと思います。そうして、アルバイトすらせず、時間だけが過ぎていきました。

しかし、いつまで経ってもニート生活を続けてはいられません。どうすれば、ちゃんとした会社に就職できるのかは分かりませんでしたが、とりあえず近所のハローワークに行って、就職活動を開始しました。

面接を受けるたびに、こんな中途半端な時期に就職活動をしている理由を尋ねられました。その度に、“在学中に起業してビジネスをやっていたから”と、優秀そうに感じられる回答をしていました。

そこは、転んでもただでは起きないしたたかさは、持っていたのかもしれません…。

ようやく就職!そしてニート卒業

応募したいくつかの会社には落ちてしまい、やっぱり自分はダメなのかなと思い始めていた頃に、小さいながらもシステム開発をやっている会社に、エンジニアとして就職することができました。

その後のキャリアを考えると、システムエンジニアとしてスタートできたことは、本当に奇跡的なことだったと思います。

私なんかを拾ってくれた、その会社には心から感謝しています。

入社後は、研修もそこそこに「研修を受けているだけより、実際に現場で働いた方が成長できる」という理由で、スケジュールが押して人手が足りなくなっているプロジェクトに、配属されました。

自分なんかが、仕事で貢献できることが嬉しくて、何でも仕事をしました。

初任給を貰うと、散々迷惑をかけた両親に、高級焼肉をご馳走しました。ようやく一人前の社会人になれた安心感から、毎日の仕事はとても充実していました。

人から決められた場所、時間、仕事内容を毎日する生活でしたが、不満なんて全く無かったです。

進んで休日出勤までして、自分にできることは何でもやった結果、お客さんから感謝状と、少しばかりの金一封をいただきました。

サラリーマンになりたくないなんて、甘えたことを考えていた私でしたが、実際に就職できて本当に良かったと思いました。

とは言え、私が就職したのは、IT業界です。だんだんとIT業界のブラックな部分が私を苦しめることになっていきます。

それはまた次回にお伝えしますね!