想い出は退屈と寂しさ…雲になりたかった幼少期

1章では私の現在のライフスタイルや、考え方を書きました。こうして、自分で今の暮らしのことを書いていると、見事に自分のbeingの通りになっていて、面白いなと思います。

beingとは、自分のあり方であり、どんな時に喜びを感じて、どんな自分を目指しているのかということです。

私の場合は『自由と自律』です。ただ好き勝手に生きるのではなく、自分を律して目的意識を持って日々、行動している人生の実現を目指しています。

こんなbeingになったのは、やはり、幼少期から社会人になるまでの経験が大きかったように思います。

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覚えているのは退屈という感情

私は5歳になるまで、埼玉県に住んでいました。その後、東京の新宿に引っ越して、社会人になるまでそこで暮らしました。

自動車会社でエンジニアをしている父と、看護婦をしている母は毎日忙しく働いていて、そのせいもあってか、子供は私一人だけの3人家族でした。

そんな私の幼少期の記憶は、保育園や託児所などに長時間預けられているものばかりです。そして、その記憶に結び付いているのは、とにかく退屈だったという強い感情です。

迎えに来てくれるのは、いつも仕事が終わった後の母でした。育児中の時短勤務なんて制度が無い職場だったので、迎えに来てくれるのは、いつも日が暮れた後になります。

友達は一人また一人と、迎えに来てくれた親と共にいなくなっていきます。ただでさえ退屈な時間が、一緒に遊ぶ友達がいなくなることで、もっと退屈になります。そのため、子供時代の私にとって「保育園≒退屈」という強烈なイメージが染みついていました。

小さい頃の私が思っていたのは、“早く家に帰りたい”ということだけだったように思います。

そんな託児所生活は、小学校に入学しても続きました。

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罪悪感を消し飛ばした青い空の雲

小学校に入ると、放課後は家ではなく、児童館に行くようになりました。この児童館は、入学前に預けられていた“退屈の象徴”の保育園の上にあり、毎日嫌々通っていました。

小学生になると、親は迎えにこなくても帰宅できるのですが、それでも17時過ぎまでは、いることになっていました。

もちろん、そこには友達もいて、一緒に楽しい時間を過ごします。でも、自分の意志とは関係無く、毎日決まった時間まで、そこにいなければいけないという“軟禁生活”が、嫌で嫌で仕方がなかったんです。

そんなある日、私は「今日は用事があるので早く帰ります」とウソをついて、まだ日が高いうちに児童館を抜け出してしまいました。大人しくて臆病な私が、小学校1年生になって、初めて社会に反抗した出来事でした。

ウソがバレたら怒られるかなという罪悪感を覚えながら、児童館を後にしたのを覚えています。でも、そんな罪悪感は、まだ明るい青空に浮かぶ雲を見上げた時に消し飛んでしまいました。

「自分は自由で、今からどこに行っていいんだ!」

そう思うと、もの凄く嬉しかったのを覚えています。その時に見上げた、真っ白く光る雲は、強烈に記憶に焼き付きました。

その後、どこに行って何をしたのかは、覚えていません。そして、その後間もなくして、児童館は行かなくて済むようになりました。

しかし、このような幼少期の経験から、私にとって家に帰ることが、自由の象徴のようになったのだと思います。

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とにかく早く帰りたかった青春時代

思春期の私は、概ね毎日を楽しく過ごしていたように思います。学校は仲が良い友達がいるので、毎日普通に通っていました。

しかし、自分の意志とは無関係に、決まった時間まで”拘束”されることは、相変わらず不快に感じる自分でした。

例えば中学時代に、委員会活動が放課後にある日などは、朝から憂鬱でした。高校受験の時には、大学受験のために予備校に通うなんて、不自由なことはしたくないと思い、大学の付属高校に入学しました。

そして、高校は理系の学校だったため、科目がとても多く、毎日遅くまで授業がありました。そこで、あまり部活動が盛んな学校じゃなかったこともあり、早く学校から抜け出たい私は、“帰宅部”に所属することを選び、毎日、友達と好きなことをして過ごしていました。

  • 人から決められた場所に、決められた時間までいたくない
  • 好きな場所に行って、好きなことをしたい!

子供の頃の私は、既に“自由”を渇望する人間になっていたのだと思います。

もちろん、当時の私はそんな自己認識は持っていませんでしたが…。

こうして、大学入学までに私のbeingの半分の“自由”が出来上がりました。

でも、ここまでなんの苦労もせず育った私は、就職活動の時に大きな失敗をします。本当に今思い出しても、両親には申し訳ない気持ちで一杯です。

本当に世間知らずでワガママなだけの、ヤツだったなぁと思います。

というわけで、その話はまた次回です!