IT業界というと皆さんは、どんなイメージを持ちますか?
一般的には長時間労働を強いられる、ブラックな業界というイメージが強いかもしれません。
でも、私にとってはブラックなイメージはありませんでした。
私自身が生まれつきの心臓の持病を持っているせいで、会社から過重労働を強いられず、守っていただけたということもあると思います。
そんな私でも、月300時間働いたこともありますし、IT業界のブラックな面は人並みに味わったと思います。
それでも、自分の得意分野を活かすことができるシステムエンジニアという仕事は、自分に合っていたと思います。
今回はそんなシステムエンジニアとして、最も充実していた日々のことを書いていきます。
目次
就職して4ヶ月後の最初の躓き
前回も書いた通り、ニート生活を脱却して、システムエンジニアとして採用された私は、最初に配属されたプロジェクトで、猛烈に頑張りました。
こんな自分でも使ってもらえることに喜びを感じ、スキルが無い代わりに、できることは何でもやりました。
でも、そのプロジェクトがひと段落すると、次のプロジェクトに配属されました。そのプロジェクトは順調に開発が進んでいて、必要になるのはちゃんとしたスキルと経験があるエンジニアでした。
まともな研修を受けていない私は、仕事についていけず、先輩たちに迷惑をかけるばかりでした。
そんな私の姿を見かねた上司は、それから3か月後にすかさず、私を別のプロジェクトに転属させてくれました。
そのプロジェクトは既に運用中のシステムを、無事に動かし続けることがミッションのプロジェクトでした。
システムの以上を検知するツールの開発やメンテナンス、日々の運用作業を効率化するための作業等が主な仕事でした。
上司や同僚にも恵まれ、丁寧に時に厳しくトレーニングしてもらい、システムエンジニアとしての経験を積ませていただきました。
また、25歳になった時には、持病の心臓病の手術のため長期入院しましたが、みんな文句を言うどころか、本当に心配してくださいました。おかげで十分回復してから復職することができました。
もうこの頃には、“自由な暮らしがしたい!”なんて、全然考えもしていませんでした。ただ、システムエンジニアとして成長して、大きな仕事がしたいと願っていました。
成長を目指して1度目の転職
こうして、経験を積んでいくうちに、新しくシステムを作る仕事がしたい気持ちが強くなっていきました。
「システムエンジニアになったからには、システム開発の仕事をしたい!」
そう考えた私は、転職することを決意しました。
以前と違って、いきなり会社を辞めるなんてことはせず、転職エージェントを使って、じっくりと希望の会社を探しました。
この頃は会社でも責任ある立場では無く、ただただ、好きな仕事がしたいという気持ちだけでした。会社の規模や、社会的信用なんて興味が無かったですし、昇進して責任ある立場になることも全く望んでいませんでした。
転職活動は焦らず、1年くらいかけてじっくりと進めました。そして、希望の会社を見つけた私は、1度目の転職をしました。
それは私が28歳の時でした。
サラリーマンとして最も充実した日々
新しい会社も小さい会社でしたが、有名なIT企業の子会社だったため、そこから受注したシステム開発の仕事がたくさんありました。
希望通り、新規開発のプロジェクトを中心に、様々な案件を担当させていただきました。
あるプロジェクトでは、開発スケジュールが押しており“何でもいいから手伝って欲しい”という状態でした。そこでは、逼迫した状況の中で、疲弊しきった同僚が致命的なトラブルを起こしてしまいました。
ミスをした同僚は、徹夜を続けながら、自分の身を犠牲にして仕事をしていたので、とても不憫に思った私は、彼の代わりに、復旧作業をすることにしました。そして、チーム全体で徹夜で作業した結果、無事復旧させることができました。
その働きが認められたことで、またしても感謝状をいただくことができました。
そんなこともあって、お客さまからも評価していただき、大手電話会社の交換機のシステム開発などもやらせていただきました。
やがて、心臓の手術のための2度目の長期入院をすることになりました。そして、心臓の大動脈弁を人口の機械弁に変える手術をして、1級認定の障害者になってしまいました。
普通、障害者になると社会的には、ちょっと不利なのかなと思うものです。しかし、会社は障害者を雇うことを義務付けられているため、ほとんど健常者と同じ働きができる障害者ということで、逆に喜んでもらいました。
仕事の面でも、ありがたいことにとても評価していただき、システムエンジニアとして幅広い分野の仕事を経験させていただきました。
この頃、経験させていただいたことは、今でも私の仕事で役立っていることばかりです。
ITエンジニアの集大成としての2度目の転職
おかげさまでシステム開発の経験を、たくさん積ませてもらったのですが、30歳を過ぎると昇進して責任ある立場になることを期待されます。
この頃からだんだんと自分の将来のキャリアに対して、段々と疑問を感じ出しました。
私自身は昇進なんて興味がありません。しかし、同年代の人が昇進したり、後輩が昇進して追い抜かれていく…なんてことを経験すると、責任を取る立場にならないといけないのではないかと思うようになりました。そして、会社や上司の“上を目指しなさい”というプレッシャーを感じるようになりました。
でも、上を目指そうと思うと、すぐにこんな思いが湧いてくるのです。
- なぜ管理職になる事を、期待されるのだろう?
- なぜ望んでいないのに、競争させられるのだろう?
- なぜ会社は成長することを、望むのだろう?
望んでいないのに、人からは上を目指す圧力をかけられるのです。でも、上に行った先には、何か得することはあるのでしょうか?
具体的なメリットが見えないので、私は今のまま現場で、自分が好きな仕事をすることを望みました。
この頃私がやりたかったのは、システムを自分で設計することでした。
プロジェクトリーダーになるよりも、現場でシステムを作っていたい…。まだまだそういう想いが強かった私は、2度目の転職をすることにしました。
設計する立場になりたければ、システム開発を受注する側から発注する側に転職する必要があります。
障害者手帳を持っていれば、障害者雇用という枠で、応募することができます。
今度は障害者雇用専門の転職エージェントを利用して、転職先を探しました。大手企業ほど、障害者を雇いたがっているはずだと思いました。私のような普通に働ける障害者は、きっと喜ばれるはずだと思いました。
案の定、今回は短期間で転職先が見つかりました。
内定をいただいたのは、名前を聞けば誰でも知ってる、大手携帯電話会社のシステム開発部門のグループ会社でした。元々ニートだった私が、遂にこんな有名会社に勤めることができるようになったなんて、奇跡だと思います。
こんな優良企業で働けるのであれば、後はこのまま定年退職まで勤め上げたら、自分の人生は安泰だと思いました。
しかし、熾烈な競争を続けている、携帯電話業界のIT部門は、それまでとは全く違った価値観の世界でした…。
そして、そこでの経験が、私の人生を良くも悪くも大きく変えてくれた、かけがえのない時間になりました。
その話はまた次回に続きます!