今までの時代はチーム登山

「登山」というと、どんなイメージがあるでしょうか?

私が最初にイメージするのは、しんどさや筋肉痛など、ネガティブなものばかりです。あなたもそうかもしれませんね。

でも、そんな私でも友人に誘われれば、喜んで一緒に山登りします。人生に行き詰まりを感じた時などは、一人で計画して、黙々と山を登ります。

心臓の持病がある私は、あまり高い山に登れないのが残念ですが、健康な方であれば、富士山に登頂したことがあるかもしれませんね。

あんなに大変なことを、人々が好んでやる理由はなんなのでしょうか?

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人生は頂点を目指しつづけるもの

頂上で見る景色の爽快感や体を動かしたことによる心地よさは、もちろんだと思いますが、それ以上に、困難に打ち勝った自分への自信や達成感が大きいと思います。

競争に勝って目標を達成することを「頂点を極める」と表現するのも、そこに様々な困難や、それを乗り越えた時の達成感があるからだと思います。

このように人生の様々なことは、山登りと同じような困難と達成感があるものばかりです。

考えてみると人生には、様々な「山」があります。受験や就職、会社の業務目標など、努力して目標達成を目指すことは、子供でさえも避けて通れません。

そして、社会人になると、登らなければいけない山は、どんどん高くなっていきます。

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サラリーマンは登山チームの一員になる事

企業に就職してサラリーマンになると、ほとんどの場合チームで仕事をすると思います。なぜなら一人一人が自分の専門分野を活かして、一つの商品サービスを作らなければ競争に勝てないからです。

これはエベレストのような険しい山の登頂を目指す場合に、必ず登山チームを結成するのと同じ理由だと思います。

日本人は昔から、和を尊び、献身的に組織のために働くことができる民族性を持っています。この強みを活かして、戦後の高度経済成長期に世界との競争に勝ち、自動車や家電など、経済の様々な分野で頂点を極めました。

チームで取り組むことで、それぞれの専門分野を活かして、より高い目標を達成することができます。みんなで責任を分担すれば、リスクを分散することができますし、頂点を極めることで得た利益は、文字通りみんなで山分けすることができます。

システムエンジニア時代の私も、サーバー、ネットワーク、データベースなど、様々な専門スキルを持つエンジニアがチームになって、システム開発を行いました。

これはIT業界に限ったことではないはずです。競争力の高い商品やサービスを作るためには、必要不可欠なことです。

チームワークで目標を達成することは、日本人のお家芸です。こうして20世紀の日本は、みんなで頂上を極め、みんなでその恩恵を受けてきました。

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有名な山は危険が多く得られるものが少なくなっている

ところが、21世紀になり、日本人が得意な「チーム登山」が通用しなくなってきました。

経済のグローバル化が進み、世界全体の競争が激しくなり、日本が独占していた経済分野にも強力なライバルが増えてきました。

日本が頂上を独占していた「山」も、世界のライバルたちに次々と取って代わられる時代になりました。

経済競争が厳しくなった結果、21世紀になってからの日本の経済成長は停滞しています。そして、労働者の実質的な賃金もこの20年間増えるどころか、減ってしまっています。

賃金が下がっているのは主要な先進国の中では、日本だけです。

さらに働き盛りの世代を中心に、精神疾患を患う人たちが増え、社会問題となっています。

今や経済分野での有名で大きな「山」には、世界中の多くの企業が「登山チーム」を結成して、頂上を目指して熾烈な競争を繰り広げています。

その結果、昔に比べて、頂点を目指しても、危険が多く、得られるものも少なくなってしまいました。

そして、これに似たことが、本当の山でも起きているのです。

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渋滞するエベレスト

この写真は世界最高峰のエベレストの頂上付近の写真です。頂上を目指す登山家たちで大渋滞しています。

エベレストの頂上に登るためには、天候条件が良い日を選ぶ必要があります。

しかし、条件が整う日は、そう多くないため、たまに好条件の日になると、登山家たちが集中してこのような大渋滞ができることがあるそうです。

私はエベレストに登頂できるのは、選ばれたほんの一握りの人だけで、頂上付近はは常に無人の荒涼とした場所だと思っていました。

ところが、それは昔のことで、今や世界中の登山家たちが、登頂を目指して集まっているそうです。

このような大渋滞が起きるようになったことで、登頂の順番待ちの間に亡くなってしまう登山家が出てしまい、問題になっているのです。

この写真は、今の世の中を象徴しているようです。

では、私たちは頂点を極めることをあきらめるしかないのでしょうか?