私は四季の中で秋が最も好きです。暑いのが苦手な私は、秋になって涼しくなってくると、ホッとするからなんです。
そんな秋の時候の挨拶に「天高く馬肥ゆる秋」という言葉がありますよね。
この言葉を見ただけでも、秋晴れの空と美味しい食べ物のイメージが湧いてきます。
ところが、何の気なしにこの言葉の意味を調べてみた所、元々はこんな平和な意味じゃなかったんです!
というわけで、今回は「天高く馬肥ゆる秋」の本当の意味と由来を紹介します。
天高く馬肥ゆる秋の意味
早速「天高く馬肥ゆる秋」の意味を見ていきましょう。
まず“天高く”とは、秋は空気が澄んでいて、綺麗に晴れると空が高く感じることを表現しています。
そして、“馬肥ゆる”は、豊かな実りがある秋は、馬もたくさん食べて肥え太るということを表しています。
つまり「天気も爽やかで過ごしやすく、豊かな食べ物がある良い季節」を意味する言葉なのです。
空は澄み渡って晴れ、馬が食欲を増し、肥えてたくましくなる秋。秋の好時節をいう言葉。
引用元:デジタル大辞泉~天高く馬肥ゆる秋より~
でも、本来の使われ方は、平和的なものじゃなかったんです。
由来は敵の襲来への警告だった
実は「天高く馬肥ゆる秋」と言った時の本来の意味は、次のようなものだったんです。
「天気が穏やかで馬が肥え太る秋には、敵が攻めて来る。今年も油断しないように!」この言葉は『史記』※という書物の『匈奴伝』に登場します。
この匈奴伝によると、紀元前の漢帝国の時代の中国は、匈奴という異民族の侵略を受けていました。
常に侵略し合っては、友好条約を結び、またそれを破ることを繰り返していました。
その匈奴が決まって侵略してくるのが、秋だったのです。
寒さが厳しい北国では、冬は食糧不足になることが悩みでした。そこで、匈奴は漢の村々を襲撃して略奪を繰り返したのです。
その匈奴の軍勢の中心は、騎馬部隊でした。夏の間にたくさんの牧草を食べた馬は、秋には元気に太ります。
冬に備えて食べ物を略奪するには、秋は絶好の季節だったんです。
そこで、匈奴との戦いで活躍した将軍、趙充国は匈奴のその傾向を見抜いて、こう警告しました。
「
“妖星”とは不吉なことの前兆、“塞馬”とは匈奴のことです。
つまり意味は「秋の澄んだ空は、太った馬に乗った匈奴が攻めて来る不吉な前兆だ!」といった感じです。
平和なイメージが浮かぶどころか、戦慄を覚える言葉だったのです。
昔の中国人にとっては、匈奴は常に侵略を繰り返す難敵でした。
有名な万里の長城も、そんな匈奴の侵攻を食い止めるために建設されたと言われています。
しかし、猛威を振るった匈奴も、漢との戦いに敗れ、やがて滅んでしまいます。
それ以降「天高く馬肥ゆる秋」は、現在のような平和的な意味で使われるようになったのです。
中国の前漢(BC206年~BC8年)の第7代皇帝、武帝の時代に、司馬遷によって編纂された歴史書です。
“本紀”が12巻、”表”が10巻、”書”が8巻、”世家”が30巻、”列伝”が70巻、総文字数は約52万文字という、凄まじいボリュームの書物です。
文学としても高く評価されています。元号を決める際の出典元にも、たびたび使用されています。
まとめ
「天高く馬肥ゆる秋、いかがお過ごしですか?」なんて言われたら、平和で満たされた気持ちになるものですよね。
ところが、本来の意味は、“敵にとって侵略に絶好の季節になった”という意味だったんですね。
のんきに秋の恵みを堪能している場合じゃないってことです。
もちろん、現代では”いい季節になりましたね~”という意味で、使って問題無いです。
平和な使い方ができるって、いいもんですね(^^;